マリ-・アントワネットの結婚生活(その1)

マリ-・アントワネットが初めて未来の夫、ルイ・オ-ギュスト王太子に会ったのは、コンピエ-ニュの森であった。花嫁の一行が近づくと双方の随員がファンファ-レで伝え合い、待っていたルイ15世は孫の花嫁を迎えるべく馬車を下りた。マリ-・アントワネットもそれより素早く馬車を折りて王に歩み寄り、優雅に膝を折って王の手に接吻をし、“パパ”と呼んで挨拶をした。ルイ15世は、金髪の愛らしい優雅な姫に、心から満足した。優しく彼女を抱き起こし、彼女の頬に接吻した後、傍で困惑して固まっている王太子を紹介した。彼はぎこちなく花嫁の頬に接吻した。その夜はコンピエ-ニュの城で別々の寝室に入ったが、王太子は日記に只「王太子妃と会見」とだけ記した。

コンピエ-ニュ城
ヴェルサイユ宮殿

コンピエ-ニュから約100キロ離れたヴェルサイユには2日後の5月16日の朝に到着した。マリ-・アントワネットは約2時間かけて支度をし、宮殿のルイ14世礼拝堂での結婚式へ、王太子に手を取られて臨んだ。これにはごく内輪の限られた王族、貴族が最高の贅沢な衣装を身に着けて参加した。

ルイ14世礼拝堂の結婚式

ランスの司教が13枚の金貨と結婚指輪に祝福を与え、次に王太子が花嫁の薬指にはめようとすると上手く入らず顔を真っ赤にして押し込み、金貨を渡して、そうして二人はぎこちなく頬に接吻しあった。二人は跪いて祝福を受け、オルガンの響きと共にミサが始まった。若い二人の頭上には天蓋がかざされた。結婚契約書には王が先ずサインし、次々に親族が序列通りにサインをしていった。王太子のサインの後、王太子妃は、マリ-・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌと書き、その時羽ペンのインクがポタリと落ちてしまい大きな染みをつくった。これは凶兆と囁かれた。

ルイ15世、ルイ・オーギュスト、マリ-・アントワネットのサイン

セレモニ-はごく限られた参加者であったが、ヴェルサイユの庭園はすでにパリから押し掛けていた無数の民衆で賑わっていた。呼び物は未だかつてないという触れ込みの花火であったが、夕方俄かに空が搔き曇り稲妻が光る大嵐となってしまった。人々はびしょ濡れになりながら這う這うの体で帰っていった。

5月19日に舞踏会が開かれヴェルサイユでは14445弾の花火が打ち上げられた。5月30日に開かれたパリの花火大会では爆発事故で130人が死亡。以後花火は中止になった。

しかし宮殿では新しく建てられた王室オペラ劇場結婚披露晩餐会が始まっていた。入場券を手にした6000人の名門貴族は、勿論食卓にはつけず、王と花婿花嫁をはじめ22人が食事するのを見つめる以外になかったのだが、それでも息をつめて暫くなかった歴史的光景を見守った。

オペラ・ロワイヤル

数千の蝋燭に照らされたオペラ劇場の装飾は壮大で豪華絢爛であった。80人のオ-ケストラの奏でるメロディが心地よく会場を満たしていた。

やがて王族は近衛兵の礼砲に合わせて恭しく挨拶する貴族たちの間を退場して行った。

公式の祝典はこれで終わり、花婿花嫁は王と宮廷人に伴われて寝室へ向かった。ベッドの前には宮廷人たちが興味津々と見守る中、初夜まで儀礼で厳格に定められた規則に従って進んでいった。マリ-・アントワネットにとってはショックに近かった。ルイ15世が王太子にナイトウエアを手渡し、王太子妃にはシャルトル公爵夫人がそれを渡した。更にランス司教が二人のベッドに祝福を授け聖水を振りかけた。そして漸く人々は二人を残して寝室から出て行った。

王妃の寝室

天蓋付きのベッドのカ-テンが下り、やっと二人きりになった。がその夜は何も起こらなかった。王太子は翌朝、日記に“Rien”(何もなし)と記した。それがずっと続いた。皆は“内気”、“経験不足”、“ナチュ-ル・タルディフ”(小児性発達障害)などと考えた。16歳の少年がこんな魅力的な王太子妃を横に何もしない事に首をかしげた。しかし実際は不幸にも王太子には痛ましい機能障害があったのだ。

心配したマリア・テレジアは豊富な経験から、相手をせかして苦しめないよう、この事を重大視しないよう娘を励ました。母として“度の過ぎない優しい愛撫”についてまで言及している。しかしこれが何年も続くとなると皆が異常な状態であると気づいてくる。

ルイ・オ-ギュストは明らかに優雅で可愛らしい妻に魅かれて行った。だから夜の訪問は欠かさない。しかし“Rien”なのであった。虚しい試みを重ねていった。これは二人の心理に決定的な打撃を与えて行った。彼はただでさえ自信がないのに、毎晩自分の不甲斐無さを確認することは苦しみ以外の何物でもなかった。マリ-・アントワネットは初めは一体何が起きているのか分からなかったが、時が立つうちに肉体的にも精神的にもフランストレ-ションを内に深く籠らせて行った。(続く)

筆 平井愛子 フランス政府公認ガイドコンフェランシエ、ソルボンヌ・パリ第4大学美術史・考古学部修士、同DEA(博士課程前期)、エコ-ル・ド・ルーヴル博物館学 

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