マリ-・アントワネットの結婚生活(その2)

はしゃぎたい年頃であった。エチケットだらけの窮屈なヴェルサイユの生活。昼間の狩りで疲れて熟睡している夫をベッドに置いて、マリ-・アントワネットはその取り巻き達とヴェルサイユを夜中に抜け出して、パリのオペラ座の夜会へ繰り出すようになる。夜会は魅惑的であった。仮面を付けて踊って、たわいのないおしゃべりを交わす。誘惑の坩堝に身を置くことは実に刺激的であった。朝の7時までにヴェルサイユに戻り、10時のミサには何事もなかったように参加し、午後は夜のオペラ座に出かける準備で頭が一杯であった。

オペラ座の夜会

そしてこのオペラ座でスウェ-デン人のある学生に出会う。スウェーデン名門貴族のアクセル・フォン・フェルゼンであった。マリ-・アントワネットは自分の名前は明かさなかったが、フェルゼンはその日の日記に、マダム・ラ・ドフィンヌ(王太子妃)に会った、と記している。誰よりも優雅で、ひときわオ-ラを発しているマリ-・アントワネットとその取り巻きの彼女への接し方を見れば、フェルゼンに分かるのは当然であった。そして彼の心にマリ-・アントワネットの印象が深く刻まれた出会いであった。フェルゼンはこの後間もなく本国へ帰り、二人の本格的出会いはフェルゼンの次の来仏を待たなければならない。

アクセル・フォン・フェルゼン伯爵

王太子妃は、ゲ-ムにも興じて挙句は賭博まで手を出し、多額の借金を作り出すという有様であった。更に当時パリで貴族たちに評判のロ-ズ・ベルタンという高級ドレス・デザイナ-をシャルトル夫人に紹介されてからは、ロ-ズ・ベルタンがマリ-・アントワネットに見せるデザインや美しい生地は彼女の美的センスを刺激し、この王太子妃はそれらを際限なく購入する。ロ-ズ・ベルタンはマリ-・アントワネットという最高のモデルを得て、次から次へとデザインを描く。かくしてマリ-・アントワネットとロ-ズ・ベルタンが創り出すモ-ドはフランスの宮廷だけではなくヨ-ロッパ中の宮廷へと流行が広がっていった。

マリ-・アントワネットのドレス ローズベルタンのデザインと制作
ロ-ズ・ベルタンのドレス

ルイ・オ-ギュストはこうした妻の散財には負い目があるのか何も言えないのであった。そして若い二人の閨房の不手際は、ヴェルサイユの貴族だけでなく下働きの下男下女たちまでにも知られ、パリでも面白可笑しく卑猥な噂や歌が飛び交った。諸外国にも聞こえ、各国の王族たちはフランスの王太子夫妻を冷笑しながら揶揄した。辱めの極地であった。

マリア・テレジアは不安と心配で手紙を頻繁にパリに送り、遂にルイ15世が王太子を詰問し、事実が判明した。王の命令ですぐさま宮廷医ラソンヌに診察を受けることになった。そしてやっと不能症の原因は精神的なものではなく、器官上の欠陥ということがあきらかになった。しかし王太子の優柔不断の性格は手術に中々踏み切れない。

1774年5月10日、ルイ15世が亡くなった。天然痘であった。王の死と同時に王太子はルイ16世になり、マリ-・アントワネットは王妃となったが、伝染を恐れて祖父の死に際には会わせてもらえなかった。ルイ16世20歳マリ-・アントワネットは19歳であった。彼女は王妃になると、自分の言動が法律になる権力の座に君臨したということを直ぐに自覚したが、それに伴う責任については考えが及ばなかった。

ルイ16世とマリ-・アントワネット王妃

1777年を迎え、二人の厭わしい滑稽な閨房の有様はなお変わらなかった。マリア・テレジアは激怒し、4月長男の皇帝ヨ-ゼフ2世をパリへ送った。彼は情けない義弟のルイ16世に手術をするよう励まし迫った。手術は成功した。だが王としての権威はすでに深く傷つけられていた。ルイ14世の権威には比べるべくもないルイ16世のそれであった。そしてこの一見非常に個人的親密な出来事はフランスの歴史に、いや世界史の変化に深いところで繋がり、影響を与えていく一因となったと思える。それは彼が王だったからか?ごく普通の庶民の夫婦の親密な問題だったら何も影響はなかったか?いや人間であれば自覚の有無に関わらずその生きざまは、この一瞬にも世界史の成り立ちに参画していると言えるのではないだろうか。

1778年、マリ-・アントワネットは、長女のマリ-・テレ-ズ・シャルロットを出産する。やっと名実ともに王妃となった。結婚から既に8年が立っていた。

マリ-・アントワネットと子供たち

出産とともに、マリ-・アントワネットは賭博も止め、パリのオペラ座通いもきっぱり止めた。母となり、王妃の役目を果たしつつある満足感が彼女の心理に反映していると言えよう。マリ-・アントワネットは子供たちにとっては宮廷の仕来たりを変えて自ら一緒に過ごす良き母に変遷していくが、浪費癖だけは治らなかった。そして宮廷の仕来たりを無視することは、貴族たちへの侮辱となり反感を買い、それが怨念に変わって行くことは、マリ-・アントワネットには思いもよらない事であった。(次のエピソ-ドに続く)

筆 平井愛子 フランス政府公認ガイドコンフェランシエ、ソルボンヌ・パリ第4大学美術史・考古学部修士、同DEA(博士課程前期)、エコ-ル・ド・ルーヴル博物館学

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