マリ-・アントワネットの愛の隠れ家-プチ・トリアノン

1774年5月10日午後3時半、ルイ15世の寝室の窓辺に置かれたろうそくの火が消えた。その瞬間、「王様は死んだ、王様バンザイ」の叫び声とともに、ルイ・オーギュストルイ16世になり、マリ-・アントワネット王妃になった。

オ-ストリア女大公マリア・テレジア

マリ-・アントワネットは王妃となって、母マリア・テレジアに書き送る。“お母さまの末娘である私を、ヨ-ロッパ一美しい国の王妃にお選びになった神の摂理には驚きを禁じえません。”と手放しの喜びを伝えた。マリア・テレジアは君主として王冠の重みを十分に経験してきただけに、浮かれて喜んでいるだけの我が娘の姿が目にみえるようで、暗澹たる思いにならざるを得なかった。マリ-・アントワネットとのその後のやり取りで、フランスの新国王は結婚生活においても、宮廷においても尊敬されていない存在で、我が娘のフランス王妃は、その夫を庇いもせず、支えもせず、その鈍感な寛大さを利用して散財していることに空恐ろしさを感じた。一国の王が家庭の強い支えなしに、加えて意気地なしではどのように君主制を守れるのか。マリア・テレジアは彼らの行く末を思って震撼した。

プチ・トリアノン

マリ-・アントワネットが王妃になって先ずしたことは、王にヴェルサイユ宮殿から少し離れた小離宮プチ・トリアノンの領地所有を所望したことである。ルイ15世が亡くなって数日後であった。フランスでは外国人が領地を所有することは禁じられていたが、勿論ルイ16世は承知したのである。

ポンパドゥ-ル夫人

プチ・トリアノンはルイ15世に寵愛されたポンパドゥ-ル夫人が、1763年に建築家ガブリエルに建てさせたもので、エレガントなギリシャ風の建物である。しかしポンパドゥ-ル夫人はその一年後に亡くなったのでこの完成は見れなかった。専ら、ルイ15世と最後の側室デュバリ-夫人の愛の隠れ家として使われた。

マリ-・アントワネットはこの小離宮を見た時、ヴェルサイユの儀礼づくめの日常から解放されて気ままな自由な生活に実に適した場所だと思った。ルイ16世は宮廷人たちの批判の眼をよそに、1774年8月15日聖マリアの日に、531個のダイヤモンドが飾るプチ・トリアノンの鍵を王妃に手渡した。

マリ-・アントワネットの寝室

1階の玄関にある大階段のモノグラムはルイ15世の“LL”に代わって王妃の“MA”が取り付けられた。寝室は指物師ジョルジュ・ジャコブに花と植物のモチ-フを施した魅力的な家具を作らせ、寝室の横にある閨房には特別仕掛けの動く鏡が据えられ窓が隠れるようにした。

マリ-・アントワネットの仕掛け鏡のある閨房

プチ・トリアノンの周りにはルイ15世が丹精したヨ-ロッパ一の植物農園があった。温室には4000の希少の植物が育てられていたが、マリ-・アントワネットはいとも簡単にイギリス庭園に変えてしまう。

プチ・トリアノンのイギリス庭園

宮廷はこれらの莫大な費用と王妃が好きな時に完全に孤立できるこの空間に憤慨した。

マリ-・アントワネットはプチ・トリアノンは、王も含めた全ての人の出入りは招待が必要とし、招待リストまで作った。このような規則まで作って気に入った取り巻き達と放埓に遊ぶ王妃の態度を宮廷人たちは真の侮辱と受け取った。この頃、初めて王妃を非難する“中傷文”が表れた。しかしマリ-・アントワネットには防御しようという考えがなかった。

1778年、フェルゼンは再びフランスにやってきた。フェルゼンの父はスウェ-デンで最も裕福で強力な貴族であった。4年前にヨ-ロッパ遊学中、18歳でパリの社交界にデヴュ-し、容姿端麗で背も高く雄弁な彼は、忽ち上流階級の婦人たちの心を掴んで人気を博した。

アクセル・フォン・フェルゼン

ヴェルサイユで初めて正式にフランス国王と王妃に会見したフェルゼンに、「まあ、以前にお会いしましたわね。」とマリ-・アントワネットが声をかけた。彼女はフェルゼンを覚えていたのである。4年前のオペラ座の夜会以来であった。そして彼はプチ・トリアノンの王妃の招待客リストに入り、その後しばしばプチ・トリアノンを訪れることになっていくのである。マリ-・アントワネットの彼への好意の示し方は誰が見ても特別なものになっていった。時には、お忍びで夜プチ・トリアノンにやってきて朝方に帰っていくフェルゼンの姿があった。

マリ-・アントワネット エリザべット・ヴィジェ・ルブラン画

この恋愛は非常に複雑であった。フェルゼンはマリ-・アントワネットにとって、初めての心ときめく存在であったが、王妃である矜持は保たなければならない。フェルゼンはフランスの軍隊の重要ポストを得て、アメリカの独立戦争支援などのいくつかの戦役に出かけたり、いつも王妃の傍にはいなかったが、二人は誰にも知られないように秘密の愛の手紙を交換するようになっていく。フェルゼンの手紙の相手はジョゼフィ-ヌという名前になっていた。(次のエピソ-ドに続く)

筆:平井愛子 フランス政府公認ガイド ソルボンヌ・パリ第4大学美術史-考古学学部修士、DEA(博士課程前期)、エコ-ル・ド・ル-ヴル博物館学

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