レオナルド・ダ・ヴィンチの安住の地、クロリュッセ

レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念するレオナルド・ダ・ヴィンチ展が2019年10月24日から2020年2月24日にかけてルーヴル美術館で開催された。最後の3日間は24時間オ-プンというル-ヴル始まって以来の体制で見学者に応えた。オ-プンして以来、およそ1,1百万の見学者が全世界から訪れたという。ル-ヴルの特別展で最高だそうである。死後500年の年月を経て尚且つこれだけの注目を集めるレオナルド・ダ・ヴィンチのエネルギ-は、瞠目である。 レオナルド・ダ・ヴィンチがフランソワ1世に招待を受けて、最期の3年間をフランス・ロワ-ル地方のアンボワ-ズ城の近く、クロリュッセの館で過ごし、そこで没したことは周知の事実である。 1515年12月、ロ-マ法王レオ10世とともにボロ-ニャを訪れたレオナルドは、フランス王フランソワ1世と出会った。レオナルドは既に64歳、フランソワ1世は21歳であった。フランソワ1世の義父ルイ12世は、ミラノでレオナルドの“最期の晩餐”の素晴らしさに感動して以来、レオナルドに心酔して作品を集めており、フランソワ1世も1515年、レオナルドに出会う直前にミラノを奪還しており、この壁画を見たのかも知れない。この時の出会いの折り、フランソワ1世はレオナルドをフランスに招待したと思われる。二人の出会いはどんなであったろうか。フランソワ1世は若かったが背丈180cmを超え、肩幅広くカリスマ性に富んだ勇気に満ちた王であった。残虐無比なチェ-ザレ・ボルジアとは違って教養と良識を持った王であった。レオナルドは例え短い会見であったとしても、瞬時にその資質を見抜いて、この若者の人生に貢献したいと思ったのかも知れない。 レオナルドは一旦ロ-マに帰るが、フランソワ1世はその後も彼をフランスへ来るよう誘い続けた。そして1516年夏、レオナルドはアルプスが雪で覆われる前にロ-マを立ってフランス王の元へと向かった。レオナルドはこれまでイタリアを出たことはなく、当時のこの年齢からすると相当に決意が要ったと思うし、又これが最後の旅となると自身も思ったであろう。彼が描き続けていた「聖アンナと聖母子」、「洗礼者ヨハネ」そして「モナリザ」の3枚を含む一切の家財をラバに積んで出発した。こうしてこの年の秋、レオナルドはフランス王フランソワ1世に温かく迎えられ、王自身が幼少期を過ごしたクロリュッセの館に落ち着いた。 フランソワ1世は、これまでのレオナルドに接したイタリアのどのパトロンとも違っていた。フランソワ1世の母、ルイ-ズ・ド・サヴォワも姉マルガリット・ド・ナヴァルも素晴らしい教養の持ち主で、深い尊敬を持ってレオナルドに対し、レオナルドはやっとクロリュッセの館に安住の地を得たのだった。フランソワ1世の貪欲な知識欲、関心の広さはレオナルドのそれと匹敵するほどで、科学、数学、地理、歴史、詩歌と音楽、文学を愛し、イタリア語、ラテン語、スペイン語、ヘブライ語にも通じ、社交的で女性を愛し、ダンスが得意で狩猟、格闘技にも抜きんでて颯爽としていた。レオナルドにはフランソワ1世は理想のパトロンであった。レオナルドはフランソワ1世のどんな質問にも答え、教えることができた。 レオナルドは年間700エキュ金貨を年金に貰い、研究や製作費は別に出資されという待遇だった。現在フランソワ1世の1エキュ金貨は1200ユ-ロに相当するので、当時としても相当な額であった。レオナルドには全くの自由が与えられたが、彼はこの3年間という短い間、精力的に働いている。王のための晩餐会や舞踏会のショ-、ロモランタンの城の設計と都市計画、ロワ-ル渓谷とリヨネ地方を運河で結ぶプロジェクト、等などである。この間に地下道を通ってアンボワ-ズ城から毎日のようにやって来るフランソワ1世との対話、そしてイタリアから持参した3枚の絵を描き続けたのである。 様々な訪問者たちも快く迎えた。毎日の思索と想像は絵と鏡文字でノ-トに克明に記された。レオナルドが最後に記したノ-トのぺ-ジには、底辺の長さが違う直角三角形が四つ描かれ、どれも内側に長方形が書かれ、残った部分に影が付けられている。脇にはそれを説明する文字が書かれている。幾何学図形の変化を思索していたのだ。そして最後の1行に、“Perche la minestra si fredda. ” ス-プが冷めるから と書かれて文章が終わっている。食事で思考を中断したようである。 1519年4月23日、67歳の誕生日を迎え、死が近い事を悟ったのか遺言を書かせ、5月2日に没した。レオナルドはそれに遡ること30年ほど前に、「充実した日に幸福な眠りが訪れるように、充実した人生には幸福な死が訪れる」と記しているが、やはり荘厳な死であったろうと私は想像する。クロリュッセはレオナルドの人生最終章の足跡を刻んで、今もロワ-ル川の畔に佇んでいる。 Clos Luce, 2 rue du Clos Luce, 37400 Amboise, 02.47.57.00.73 休館:25/12、1/1 筆:平井愛子 フランス政府公認ガイドコンフェランシエ、ソルボンヌ・パリ第4大学美術史・考古学部修士、同DEA、エコ-ル・ド・ルーヴル博物館学

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